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先生のために! 3

Author: 美咲如
last update publish date: 2026-10-29 07:00:39

 クロイツァー王国。王城の裏に広がる、静寂な森。

 その奥深くに、魔術師の卵たちが集まる学園『アリアドネ』はある。

 魔術が使える人員を国中から探し求め、2年間の厳しい修行を経て、魔物が出没する王国各地へと派遣していく。クロイツァーは、世界有数の魔術師大国だった。

 貴重な魔術師と豊富な資源を欲して、さまざまな国があの手この手で王国を脅かしていた。戦争の収束する気配はない。瘴気が高まれば魔物も出没する。そんなこの国の最大攻撃力であり、最大防御力である彼らはいわゆるエリート集団で、国民の憧れの的だ。

 あの日オリヴァーの手を取ったネメシスは、彼と共に馬車に揺られ、この『アリアドネ』に入学した。

 言葉もろくに知らなかったネメシスに、オリヴァーは王都への移動中から文字を教え、『アリアドネ』に入る前に彼の屋敷で最低限の社交マナーをネメシスに施してくれた。

 その中で、オリヴァーがまず教えてくれたのがネメシスの名前だった。

「『ノーラ』と言う名は、きっと正式な名前の略文字だと思うんだけれども、君は名前を知っている? それとも、なにか文字の書かれたものを受け継いでいるとか」

「……いえ、何も聞いていないと思います。お母さんが亡くなったのはまだ私が立つ前だったそうなので……」

「……そうか。では、これから新しい君として生きていくためにも、魔術師に多い名に寄せておこうと思う。君がこの先、大人になってこのクロイツァーを代表する魔術師となった時のために箔を付けておきたい」

 どうだ? と訊かれても、ネメシスには特に愛着のある名前でもない。それに、『ノーラ』と呼ばれるたびに集落で呼ばれていた錯覚に陥りそうだと、名前を変えることに反対などなかった。

「それでは……ネメシス。君はこれからそう名乗りなさい。欺瞞や傲慢を諌める女神の名だ。辛い思いをその小さな身ひとつで耐え抜いた君の心の強さに相応しい——」

「……ネメシス。ありがとうございます。……先生」

『先生』の言葉にオリヴァーは首を傾げた。

 ネメシスはその様子がおもしろいと感じて、笑った。

「だって、わたしにたくさんのことを教えてくれて、新しい名前もくれた人です。先生ですよね?」

「そういう意味か。驚いたよ。私はまだ君に、『アリアドネ』で教師をしていることを伝えていなかったのにと……」 

 今度はネメシスが目を見開いた。

「先生が、本当に先生だった……!」

「私が担当するのは、卒業間近の生徒だけだ。早く、私の授業を受けにきなさい——」

「…………っ、はい!」

 その時の嬉しそうなオリヴァーの笑顔のために、ネメシスは必死に勉学に励み始めた。

(——わたしを拾って、指導してくれて。学園にも入れてくれて……。わたしを助けてくれた、先生のためになりたい!)

 『アリアドネ』の女子寮の一室で、ネメシスは朝から無心で読書に耽っていた。

 『アリアドネ』に入学してから伸ばし続けているまっすぐな濡羽色の髪は、膝下に付くほどで、ろくな手入れがされていないのに艶やかだ。それが隠すのは、陽にあたれば溶けてしまうほどの、雪を固めたような白い肌と、くりっと丸い瞳。

 ほとんど誰とも交流せず、学園内にある図書館から山のように魔術書を借りてきては、部屋にこもって読みふける日々。

 そして、入学直後から定期的に魔術師長の直接授業を受ける待遇——。ネメシスが知らないうちに、周りから『ポーセリンエッグ』と呼ばれていた。

「ネメシスー! 今日試験でしょー! 夕食無くなるから早く行くよ! 今日はグラタンだって!」

 隣の部屋のレイティアが声をかけてくる。窓の外が薄暗くなっていることに気づいて、机に置いてある時計をチラッと確認した。今日の読書時間は終了だ。

「はーい!」 

 本に没頭して食事を忘れたことは、既に両手を超えていた。

 魔術師は、内なる膨大な魔力を行使するほどに、魔力とともに体力も奪われていく。そのため、『アリアドネ』に入学するとまず初めに何がなんでも腹に食べ物を押し込むことを徹底される。

 遠征の研修に赴けば騎士団と同じ食事にありつけるのだが……残念なことに、ぜんぜん足りない。下手すれば騎士よりも食べる。

 実戦遠征になれば、食糧の確保が必須となる。

 からだを張って戦う騎士たちの食糧は奪えない。

 それでは……と、食事の邪魔にならないよう、木の実から辺りに生える雑草に至るまで食べられるように、毒物の解毒の仕方から実践させられる。

 それほどまでに死活問題なのだ。

 日々の食事の食べ忘れは、そのまま食事抜きである。

 すなわち翌日の魔術演習でのスタミナが足りないばかりか、最悪空腹を抱えたまま眠れない夜を過ごす羽目になる。

 ネメシスもお腹いっぱい食べないと、すぐに体力が尽きるし見る間に痩せてしまう。そのくせ読書に没頭して食事を忘れてしまうものだから、オリヴァーに非常食を恵んでもらっていたのだが。

 月に数回臨時講師で一年生の授業を受け持つようになった彼に、ネメシスだけが特別扱いをされていると知れ渡るのは早かった。

「……さすが天才魔術師の『ポーセリンエッグ』ね。時間に間に合わなかったのは同じなのに、私たちはうっす〜い具なしのスープで、あの子は具沢山ポトフ……。また、特別扱い……」

「俺、まだぜんぜん食い足りね〜んだけど。魔術師長、俺たちにも携帯食恵んでくれないかな?」

 ある日食堂を出る時にそんな声を聞いてから、何がなんでも食堂が開いている時間に駆け込むようになった。

 彼らがわざとネメシスに聞こえるような音量で話しているのには気づいていた。

 魔術書を読んでいると時間を忘れてしまうのは誰にでも共通することだが、さすがに、ネメシスだけの度重なる特別対応はいただけなかったらしい。

 オリヴァーが王国魔術師の最高位である『王宮魔術師長』という大層な立場だったことを、授業を受けるようになってネメシスは知った。色々と面倒を見てもらっていることを『アリアドネ』の教師たちは知っているが、わざわざ生徒たちに話すことではない。それに、ネメシスの過去を探られるのは避けたかった。

 それもあって、なんとか魔術師長の手を煩わせまいとしていたところにレイティアが出会した。それ以来、彼女はあわよくば魔術師長からのお恵みの施しを期待してネメシスを構うようになった。話してみれば気さくで甘え上手で、気がつけばネメシスが食いっぱぐれないように世話を焼いてくれる。

「やぁ。ネメシス、レイティア。ここ、いいか?」

「はい、喜んで」

 上司や教師の誘いには必ず応える。

 テーブルの正面に料理を運んできたのが、その魔術師長ことオリヴァーだった。

「この後はいよいよ君たちの番だ。途中で魔力切れを起こさないように、しっかり食べなさい」

「はい」

「オリヴァー先生もそう言ってくれているんだから、がんばろう、ネメシス。ご褒美にデザートもありますよね?」 

 「先生?」とレイティアがオリヴァーを期待した目で見上げる。

 オリヴァーが、配膳盆の上の料理をチラッと確認したのが分かった。

 今日のメインメニューであるじゃがいものグラタンは、食が細いネメシスにとって正直胃に重い。それでもお腹がはち切れんばかりに食べていないといけない理由がある。 

「二人が試験に合格したら、私のとっておきをあげよう」

「やった!」

「レイティアはご褒美が大事なの?」

「ここにいたら、デザートよりお肉じゃない。魔術師長のとっておきが掛かってる試験で落ちるわけにはいかないでしょ!」

 現金なレイティアに、ネメシスは苦笑した。

 卒業を前に、生徒たちは二年間の集大成を発表するのだが、オリヴァーはその試験監督として発表前の段階から生徒たちの発表内容に目を通しているらしい。

 王宮魔術師への誘いか、その魔術を欲しがっている部署への斡旋か。はたまた試験が無事に履行され合格内容に見合っているか。それはネメシスの知るところでは無い。

 ネメシスが必死になってくらいついた『アリアドネ』の卒業試験が、目前まで迫っていた——。

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